同居解消〜赤裸々に書きました〜

 

こんにちわ、まいまいです。

今日はちょこっと思い出したことがあって
私の過去をお話ししようと思いまして。

私は、結婚して1年間くらいは
夫と私も職場に近い場所で
新婚生活を送っていました。

夫は激務なので、
職場に近い方が通勤時間も短くて済むし
私もお弁当を作っていたので
家を出る時間を遅くしたかったからです。

新婚生活を始めてしばらくしてから
念願の子供を授かることができました。

当時住んでいた地域では
ここで産みたいと思うような産院がなく、
産後は里帰りするつもりでいたので
地元の産院を選びました。

なので、
妊娠してからは1時間かけて
毎回検診に行っていました。

妊娠してからお腹が大きくなるにつれて
不安が押し寄せてきました。

私は徐々に精神不安定になっていき
夫は帰宅も遅いため、
夜は泣いて過ごすことが多かったです。

『このまま出産したら、
ずっと一人で見ないといけないのかな?』

 

そう、この状態は・・・
悪いことしか考えられない
マタニティーブルーってやつです。

検診後には
毎回LINEで両親に
報告していました。

幸い、義理の両親とは
結婚前からもよくしてくれていたし
関係は良好な方で、
きっと一緒に住んでも大丈夫っていう
変な自信がありました。

夫は長男で後継で
結婚当初、しばらくは
二人で別なところで住んでもいいけど
いつかは戻ってきてねという約束でした。

私の精神状態が最悪だったため
同居のタイミングが早まったんです。

・きっと復職したら、
 義母が頼りになってくれるし
 保育園のお迎え頼めるかも

・子供を
 転校させる必要がなくなるかも

・私も祖父母がいる環境で育ったので
 子供にとっては
 祖父母と一緒に暮らした方がいいかも

こんなふうに思っていました。

だから
同居に対して、
何も不安はなかったし、
むしろメリットを感じて
決意したくらいでした。

妊娠33週目くらいに
引っ越しをしました。
これがいけなかったんです。

同居生活開始。

引っ越した翌日に、
思いもよらなかったことが
私に起こりました。

初めての妊娠で

いつもより
お腹が痛い・・・

この痛みと張りが危険だということが
わからずにひたすら我慢していたんです。

この日は耐えて仕事を終え、
1時間半ほどバスに揺られて
義両親の待つ
家に帰宅しました。

お腹が張ってるってのはこれのこと?
これ大丈夫なんかな?

同居して1日目で
遠慮して自分の気持ちを言えず
痛かった気持ちを抑え込んでいました。

その日の夜中、
激痛が走り
眠れなくて冷や汗かきました。

『え?これ陣痛?
でもまだ33週目だよ?』

心の中で思いながら
案外冷静なもんで
手にはスマホで陣痛の時間を
測っていました。

予定日まで
あと2ヶ月くらいありました。

痛みが治まって
またやってくる・・・

10分くらい間隔で
痛みがやってきていて
これはやばいということに
漸く気づきます。
急いで産院に電話したら

『すぐにきてください』と言われました。

横で寝ている夫を起こし
『ねぇ。産婦人科つれてって・・・』

夜中の1時くらいだったと思います。
夫は、
まだ出産の時期ではないのに
『もぉ・・・』ってちょっと怒ってましたけど
病院へついて
危険な状態だということを
知るまではきっと呑気だったと思います。

結果、私は
もう子宮口が開いている状態で
『なんでこんなになるまで我慢したの?』

と怒られました。
まだ2000gもなってない
赤ちゃんが生まれたら
どうなると思います?

22〜37周目以内で出産してしまうことを
切迫早産と言います。

私は、即入院になり、
張り止めの薬を24時間することになりました。

この張り止めの副作用がすごくて
入院直後から
吐き気に襲われ
つわり以上にきつかったです。

寝ても吐くし
起きてるのもきつい
お腹も痛い

もう
顔が死んでたと思います。

ウテメリンという張り止めを
ずっと手に指しているので
ベットに寝たきり。

即入院になったので
会社の引き継ぎも中途半端な状態で
申し訳ない気持ちと


我慢していたせいで怒られたこと

そして赤ちゃんが
障がいを持って
生まれてくるんじゃないかという恐怖

『私のせいでこうなったんだ・・・』

自分を責め、
誰とも喋れる状態ではありませんでした。

即入院した日から
張り止めをずっとしているわけですが
効いたと思ったらまた
陣痛がやってくる・・・
量も増やされる

助産師さんが
『かなり危険な状態やから
生まれるかもしれないけど
大丈夫よ。
泣かないで。』

とずっと側についてくれて
支えてくれました。

しかし3日たったころ
ウテメリンじゃ止められないので
「マグセントに変えます」

これがもう最強に辛かったので
体燃えるかと思いました。
私は痛みに疎いのか
強い方らしいですが
これは本当に

二度と経験したくありません。
出産って命がけということを
身に染みて感じました。

結果は副作用が強くなるだけで
陣痛は止まりませんでした。

切迫早産をすると判断されると
大学病院などの
医療設備が整ったところじゃないと
赤ちゃんに何かあったとき
普通の産院では対応できないので
転院する手配をされます。

私は入院して3日目の朝、
救急車に乗せられ
大学病院へ搬送されました。

もう、心臓ばくばくしていて
ずっと泣いている状態でした。
大学病院についたら
たくさんの医師や看護師さんに
囲まれて、
『いやだ怖いお願いだから生まれてこないで』

そう願っていたら
張りが少し収まり
大学病院のMICUにいれられました。

MICUといういのは
いつ出産してもおかしくない状態の
ママが入る病室です。

私は結局、
最初の異変を感じてから一週間後に
息子を早産しました。

”もう生まれる”とわかると
張り止めはしなくなるので
一気に陣痛が始まりますが

副作用の吐き気は止まらず
嘔吐しながらの出産でした。

想像していた
感動するようなシーンでは
ありませんでした。

ああ・・・生まれた・・・

でも産声は?

え、聞こえないけどなんで?

私は出産後の処理をされながら
奥を見つめていたら
たくさんの医師が私の子を囲んでいたんです。


息をしてない状態だった
んです。


仮死状態だったということがわかりました。
母子手帳に書かれていて
後から知りましたが、
見るたびに辛かったですね。

蘇生をしてもらい息をした
私の赤ちゃん(息子)は、
すぐに保育器に入れられ
別の場所へ連れて行かれ

出産したのに
息子を見ることができませんでした。

嬉しいはずなのに
どこか悲しかったです。

幸い、息子には
障がいはなく
生まれてきてくれたのが救いでした。

この時期に生まれると
だいたい
難聴を疑われたりするようです。


マタニティーブルーのまま
出産して
子供も抱けない。
母乳は出るのに
ベッドで搾乳。その度に
ICUへ行って様子を見ていました。

産後は
もうずっと泣きっぱなしでした。

私があのとき
無理をしたから・・・
子供に辛い思いをさせてしまった・・・

出産すると普通病棟へ移るので
同室で
母乳をあげるママがいるのを見ては
胸が張り裂けそうでした。

大学病院は
双子出産の方が多くて
嬉しそうに抱っこしている方

私はまだ抱っこもできないし
保育器越しで手に触れるだけ

小さな体には
たくさんのチューブや針

ごめんなさい、ごめんなさい・・・

頭の中でずっと自分を責めました。
元気に産んであげられなかった・・・

抱っこできたのは
1ヶ月くらい経った後でした。

それでもまだまだ小さい我が子。
退院できるのは、出産予定日くらいまで
ということでした。

私は産後4日目に
退院していたので
母乳を絞って冷凍して
それを毎日病院へ通いました。

床上げするまでに
無理をしたら更年期にくると
言われていたのですが
毎日行きました。

私は、
こんな状態で出産したこともあり
子供が退院して、結局
実家に里帰りは3ヶ月間。

母に手伝ってもらい
支えてもらいました。
母は偉大だなと
改めて感じたのもこのときでした。
感謝でいっぱいです。

何もできない状態で
義実家に住んでも邪魔ですしね。

里帰りが終わり、
同居生活が始まりました。

絶対にうまくいくと思っていたのに
私の地獄の始まりはここからでした。

 

私は、義母さんのことが大好きでしたし
本当に可愛がってもらっていました。
話しやすくて
料理も上手で、性格上合うんでしょうか。
いつもお話しするのは楽しかったんです。

でもね、
出産すると変わるんです。

私が。

ガルガル期というやつです。

頭では親切心でやってくれてる

ってわかってるんですよね。

でも本能が、私の子供なんだけど?
ママは私!っていう意識が強くなって
何をされるのもストレスでした。

多分、同居したことがある人や
義両親が孫に執着していた人
ガルガル期があった人にはわかると思います。

『ご飯、先にまいちゃん食べていいよ!
私が見ておくから〜』と
我が子を見えないところへ連れて行かれる・・・

ご飯を作ってもらっておきながら
熱々のご飯を私が先に食べる負い目感。

息子を見えない場所へ
連れて行かれるのがすごく嫌でした。

ハイチェアに寝せて
食べてよかったのに、
泣くと真っ先に抱っこするのは義母さんで
「いいよ、まいちゃんは食べなさい^^」

といって、連れて行くんです。

夫がいるときだって
夫がやればいいのに
夫は食事に夢中というか
母さんやってくれるならいいじゃん
食べなよみたいな。

わかってくれないんですよね。
というかわかるはずないんですよ。

母乳をあげるのも
目の前でするの恥ずかしので
座敷に行ってしてると
寒いんだからこっちでしなさい!

義父さんがいる空間でやりたくたいのに

「はい・・・」

家なのに
授乳ケープなんかできない・・・
もう壁に向かって

義両親には背を向けながら
してました。

母乳をあげるだけなのに
気を遣う・・・

オムツ替えも
いちいち指摘される。

・もう変えなくていいの?
・私がしようか?
・2階で寝てきていいよ
 私が見ておくから。

全てが嫌になっていきました。

きっと義母さんは
自分がいる間は


1階じゃ義父がいるから気を遣うだろうし
2階で休んでいいよってことだったんだと思います。

今ならそう思えます。
いつも優しくしてくださるから。

でも当時の私には
我が子を奪われる感覚でしかなかったんです。

私は母乳と粉ミルクと混合育児でした。

だから、ミルクの時は
私以外の人がやるよ〜と言われ
私が子にしてあげられる時間を奪われていきました。

別に、任せなくても
大丈夫でしたが
義父さんがミルクをあげることに
とても嬉しそうだったことで
その後も気を使って、居る時は
「お義父さんしますか?」と聞いていました。

1・2ヶ月経った頃
私はストレスで
とうとう母乳が出なくなりました。

ちなみに貧乳ですけど
母乳はちゃんと出て、
搾乳機でたくさん絞れるくらいだったのに
30CC取れるかどうかくらいまで減っていました。

母乳が出ていないのに
気づいたのは、あげたばかりなのに
子がすぐ泣くこと。

出ていないからなんだ・・・

同居を開始して
夫は私に対して
一切気を使ってくれませんでした。

夫婦だけで話ししたいこともあるのに
私が息子を連れて2階に上がっても
一向に来てくれず、
自分はくつろいで
好きなTVを見たり
ゲームしたりしていました。

私が夜、
2階に上がる時も
20時までくらいは
1階にいないとダメかな・・・

と勝手に決めつけて
なるべく1階にいようとしていました。
土日は一日1階にいました。

だから私の気の休まる時間は
ないに等しかったんです。

同居してるのに
2階で引きこもる嫁もいて
関係が悪化した。なんていう情報を
ネットで見たことがありました。

同居してしばらくは
夫に作るお弁当作りを
義母さんがしてくれていて

6時に起きている義母さんを見て
申し訳ない気持ちと私が夫にできることは
これだけのような気がしていたので
交代することにしました。

なので私が6時に降りてきて
2階には息子がまだ寝ていて
6時半に夫を見送り、
朝ごはんの支度は私がやることにしました。

「この家に来て
なんのためにいるんだろう?」
「お金だって稼いでない」

居候になりたくない・・・
何もしない嫁と思われたくない


家にいる私が
みんなの洗濯物
掃除
あらゆる家事は私がすることにしました。

夕飯作りは基本、義母さんでしたが
週二くらいで私が作っていました。

義両親どちらも働いているので
『義母さんは14時ごろまで不在だし
それまでに終わらせよう・・・』

アイロンがけは特にきつくて
毎週10枚以上あって
アイロンがけを横に
息子をあやして〜とやると
なかなか時間がかかるんです。

人は返報性の原理と言って
何かされると私も相手にしなくてはいけない心理が
働くんですね。

夫の分までかけてくれていた
義母さんに迷惑をかけたくない一心から
私がいつの間にか全部やっていました。

だんだん、これが
なんで義理父のシャツまで私が
アイロンがけしないといけないんだろう・・・に
変わっていきました。

疲労とストレスが重なり、
義父さんに私の作った料理をだす不安感、
口に合うかな?
味薄いかな?

義実家は少し濃いめなので
私が出すご飯まずかったらどうしよう。

料理が得意とはいえ
夫以外の人に料理を出す
ましてや義父さんに出すプレッシャーは
とても大きく
これもストレスでした。

何もかも嫌になり
とうとう私の堪忍袋が
破れます。

夫は弟と仲がいいので
サッカーのゲームは
頻繁にしていました。

日曜日の夜でした。

夫も休みだろうが
寝かせ付けるのは
当然私なので

2階には私と息子。
夫に今日あった話とか
家事がきついから相談に乗って欲しかったのに
全然上がってきてくれない。

1階からは
2人で盛り上がっている声がきこえてきて

この時は深夜12時すぎ・・・

私は1階に降りていって、

ゲームをしている夫に向かって
自分のバッグを投げつけました。

弟びっくりですよね。笑

『お前!親っていう意識あんのか?あ?』
 大概にしろよ、同居してる私の気持ち
 真剣に考えたことある?ないよね、
 呑気にゲームばっかしやがって。
 子供に戻ってんじゃねーよ』

って今までにないくらいキレました。笑
自分でも怖い。
覚えています。
こんな感じで下品な言葉を使ったこと。


少し前に
その日に嫌だったことを

寝にきた夫に
話していたので、
少しは変わってくれるのかと
期待していたんですね。

息子を私から
視界がみえなくなるところへ
連れて行かないでほしいこと

私の役目を
義母が全てとっていて
私がなんのためにここにいるのかわからないこと

これじゃただの
家事手伝いの居候でしかない。

義両親が親切心でやっていることが
私にはお節介だし、


初めての子供で不慣れながらもやってる。
どれくらい飲んだの?
いつ飲んだの?
いつオムツ変えたの?
毎日ウンチ出たの?

って聞かないでほしい。
知ってどうするの?

検診のことも
根掘り葉掘り聞かないでほしい。

育児でわからないことは
自分から聞く。
だからいちいち横から口出さないで。

っていうことを話ししてました。


なのに同じような状況になっても、
私が嫌な顔をしている顔を見ても
何もしてくれませんでした。


キレてしまったこの日、
夜中に大声をあげたもんだから

『まいちゃん、どうした??』

義両親もとび起きてきて、


『この家に私の居場所はないです、
息子を連れて出て行きます』
 

そう言いました。

ちょっと待って!と止められました。

私が気持ちが高ぶっていて
冷静にはいられませんでした。

今までのストレスと
いつまでも子供気分でいる夫に
キレてしまいました・・・

私は自分の荷物と
息子の荷物を詰めて
乗せれるだけ
車に乗せていると


私の両親がやってきました。
夫が電話したんでしょうね。
正気じゃない私を迎えに。
(互いの実家が近いんです)


私も泣きながらだったので
息子も起きてしまって
息子も泣いてました。

もう外に出ていたので
近所には丸聞こえだったでしょう。
義両親には、恥をかかせて
申し訳なかったですね。

この時はそんなの考えてないですが。

正気じゃない状態の運転は危ないよって
義母さんから言われたけど


聞く耳を持たない私は
イライラしながらそのまま実家へ帰りました。


後ろから両親の車がついてきていました・・・

私はこの時もう
・あんな夫なら離婚してもいいし捨ててやる
・義両親嫌われてもいい

こんな気持ちでいたので
シングルマザーになるつもりでした。

家に着き
母には謝り、

「もう私にKはいらない。
だからしばらくおいてください」
と言って寝ました・・・。

その日から毎日、
夫から連絡が来ていましたが
ブロックして連絡は一切しませんでした。

1ヶ月くらい経ち
ちゃんと話し合いなさいと言われて
両家揃って会議しました。

私は、嫌だったことを
全てその場で話しました。

結果、
同居は解消しよう。
”3人で新たな生活を始める”
という結果になりました。

最後にお義父さんから
言われた言葉は
『もっと大人になりなさい』でした。

それ自分の息子に言うべきことでしょ。

と思い
その時は気持ちをぐっと抑えましたが
謝ることはできませんでした。

あとから謝りに行きましたけどね。

嫁は、我慢しないと大人じゃないの?
あなたの大人ってどう言うのが大人?

私と息子をよそに、
いつもゲームかTVで
今までと変わらない生活を送っている
自分の息子はどうなんですか?

と言いたかったですけどね。

夫の一歩後ろを歩く女性が素晴らしいでしょうか?
いつの時代だよ〜〜〜〜って話ですよね?

もちろん時と場合によっては
夫を立てるのは必要ですけど、
嫁を大事にしない夫が
立てられることはないでしょうね!

私は、

キレてこの日が来るまで

ずっと我慢して
ずっと辛い思いして
ずっと息子は取られてて
息子がいての私がオプション。

ずっと

一生このまま
こんな生活嫌だ!と思ったから
自分の意思を大事にしました。

だからこうやって今
これまでのストレスもなく
楽しく生活できるようになっています。

きっとあのままだったら
今の生活はありえません。

あの時、嫌われてもいいから
自分の人生、大事にしたいと
思ったんです。

嫁だからと言って
我慢ばかりする必要はないです。

同居はしても何一ついいことはありませんでした。

敷金礼金、新しいところに住むための家具家電
私は自分の貯金をはたいてでも
こんな生活から抜け出したかったので
100万以上貯金していた私だけの貯金。
(独身のときにためたお金)

残高が50万くらいになりました。

でも、決断してよかったです。
夫も、考え直してくれたようで
少しずつ頼れる存在にはなってきています。
同居の頃よりは色々
携わってくれるようになりました。

お互い嫌な部分もあるのが普通です。
満足にいかない部分があって当然です。
満足にするって難しいです。
喧嘩も時折しますが

理由がしょうもないです。笑

こんなふうに考えられるまで
精神的に変わってきました。

未来を変えられるのは自分です。
行動したから今があり、
そしてまた別の理想の未来に向かって
頑張っています。

義両親とも
不仲になると思っていましたが
スープが冷めない距離にしたことで

頼りたい時には助けてくれるし
同居していた時より
上手くいっています。

余談ですが、
義母さんも、
途中でめまい症になっていたんです。

ストレスがあったのは
私だけではなかったんですね。

何が言いたいかと言うと
結局、
状況を変えたくても
誰かにして欲しいとか
待っているだけでは何も変わらないんです。

自分で、どうにかしたい!
と思ったんなら何か行動しないと変わりません。

貯金だって、
寝かせておくだけでは
ただの紙切れです。

お金使ったから新たな生活を手に入れられました。

こうやって気づいたのは

ネットビジネスを始めてからなんです。
それまではただ同居してた経験があって
何もいいことなかったもんな〜だけでした。

あのとき、思い切ったから・・・
今の生活があります。

幸せになりたいんだったら自分で掴む。

愚痴ばかり言っても
何も生まれません。
文句言ってもその時の自分が
スッキリするだけで
また文句言いたいことが
次々とやってきます。

そしてね、
愚痴しか言わない人なんて
愚痴ばかり言う人を寄せつけてしまうんです。

と言うことで、
ちょっと長かったですが、
私の同居経験談でした。

ちなみに私の息子が大きくなって
同居したいと言われても
(そんなのないと思いますが)

絶対に断ります。
老後も頼りたくないので
自分たちでなんとかしたい。笑

長男が絶対に
親の住居を守らないといけない
義務なんてもう古いですよね。

ご先祖様の
お墓や納骨堂は守らないと
いけないと思いますが・・・。

息子には、
やりたいは
やらせてあげたいし、

親が子供の未来を
狭まることをしちゃダメだと思うんですよね。
息子の人生は息子のもの。

親が決めつけたレールを用意する必要はないと
私は思っています。

と言うことで、
赤裸々に話してみました。

ほんとは
こんなこと書いていいのだろうか
と思ったのですが

私を知ってほしいのも
あったので書きました。

一見、ビジネスには関係なさそうですが
ちょこっと大事なこと書いています。

ご覧いただきありがとうございました〜^^